La Traviataはなぜ世界中で愛されるのか〈3〉

最終回《演出編》

演出家を刺激する、演技力・表現力豊かなソプラノたち

このオペラには、ヒロインであるヴィオレッタが、パリの豪奢な館のセットの中で美しい衣裳を身にまとっている演出が長く親しまれてきましたし、現在でもそういったタイプのものが多く作られています。しかし近年では、より「リアルな女性像」に焦点を合わせた《ラ・トラヴィアータ》もまた数多く生まれています。

ナタリー・デセイ

フランスの演出家、ジャン=フランソワ・シヴァディエが、2011年のエクス・アン・プロヴァンス音楽祭で作った舞台は、ナタリー・デセイのために、いわば当て書きで作られたものです。(この舞台は映像化されて販売されていますし、「椿姫ができるまで」というドキュメンタリー映画にもなっています。)

パトリツィア・チョーフィ

2004年に、ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場が火災焼失からの再建を祝ったシーズン初演目、こけら落とし公演におけるカナダの演出家ロバート・カーセンが作り上げた舞台もまた、パトリツィア・チョーフィありき、の舞台でした。(こちらも映像化されています。)

演技力に卓越しているプリマドンナは、演出家のアイデアをおおいに刺激するのでしょう。たしかにこのふたりの舞台はどちらも、彼女たちのきめ細かな演技と繊細な感情表現による歌唱によって成立していました。しかし、こうした特定の歌手のための当て書きで作られた舞台が、キャストが変わった時に同じ効果を生み出せるかというと、なかなかそうはいきません。実際にカーセンの舞台もその後、ヴェネツィアで何度も再演されていますし、シヴァディエの舞台もウィーン国立歌劇場などでも掛かっています。しかし、残念ながら初演のインパクトを超える公演はまだ生まれていません。デセイやチョーフィのケースのように、出演者の演技力に大きく頼る演出は、そう簡単に生き残れません。それは同時に、俳優としても通用するほどの演技力のあるオペラ歌手が、そう簡単には存在しないということの証左でもあるのです。

ソプラノを選ばないウィリー・デッカーの舞台

それと比較して2005年にザルツブルクで初演された、大きな時計を舞台に据えたウィリー・デッカーの舞台は世界中で再演されていますが、ヒロインによって、それぞれの持ち味を生かす舞台となっています。長く生き残る演出は、言い換えれば、誰がやっても一定の効果を生み出す、懐の広い演出と言えるかもしれません。

ヴィオレッタ役に適したソプラノとは

ちなみに前述のデセイとチョーフィは、レッジェーロに近いリリコ・レッジェーロの声。ふたりとも中音攻めになる第2幕、第3幕では苦労しています。チョーフィが2006年にこの演出でフェニーチェ歌劇場の来日公演を行った際に、彼女にインタヴューしたことがあります。そのときに彼女はまだ私が何も言っていないうちから開口一番こう言いました。「私の声がヴィオレッタに適していないのはわかっています」。しかし、この2人は超一流のヴィオレッタを創り上げています。このふたりに共通するのは、それらしい声を中音域で作って出すという愚かなことをしない頭の良さと、演技と言葉のあしらいで、声が足りない部分を補う表現のテクニックを持ち合わせていることです。

軽い声のソプラノが作り声で中音部を作ってこの役を歌えば、そのときは良くても声帯に負担がかかり声を痛める危険性が大きくなり、その歌手人生自体を左右しかねません。実際にそうしてわずか数年のキャリアで潰れていったソプラノも数多くいます。ヴィオレッタという役は、それだけ怖い役です。オペラ歌手自身がやりたいかどうかではなく、声が役を選ぶ、典型的な役のひとつです。

(講演・再構成:河野典子)