La Traviataはなぜ世界中で愛されるか〈1〉

この秋はローマ歌劇場の来日公演、来春早々は藤原歌劇団 etc.と、ヴェルディ作曲のオペラ《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》という作品は頻繁に上演されます。しかしこれは日本ばかりではなく、世界的な傾向です。この作品のどこが魅力なのでしょう。それを探ってみました。

(以下は、イタリア文化会館・東京のブログからの転載になります。)…

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インタヴュー

この仕事で一番の役得は、インタヴューで一流のアーティストと、多くの場合は約1時間、一対一で話ができることだ。

外国人とのインタヴューの場合(私の場合はその多くがイタリア人のアーティストとなるわけだが)、私は拙いイタリア語でも極力通訳を介さず直接話すことにしている。それは相手が話好きなイタリア人だから成立するのであって、Yes Noだけを答えてそのあと黙ってしまう相手であれば、間が持たない。しかし、イタリア人アーティストの場合は、ほとんどのケースで相手は話し始めたら止まらない。逆にこちらがどこかで止めないと、話は延々と続き、多くの場合、延々とどこかへ脱線していくのである。…

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演奏会を批評する・・・私の場合

演奏会の批評を雑誌に書くのが、私の仕事のひとつである。演奏を批評するというのは、聴いている側の主観で、その演奏についてどう感じたかを自分なりの基準に照らし合わせて文字にすることだ。(当たり前だが・・・。)そして一番簡単なのは褒めまくることだ。恨まれることもないし、相手も嫌な気分にならない。主催者やマネージメント会社は次の仕事に繋がると喜ぶ。それによって演奏家(私の場合は主に歌手)が、気持ちよくなってくれるのは結構なことなのだが、本当にこれでいいと思っているのかな?という演奏を無責任に褒めれば、それは、その歌手を潰すことになりかねない。

一度、うわべだけを撫ぜたような準備をして本番に臨んだとしか思えない、才能にはとても恵まれていた若手歌手のリサイタルを酷評したことがある。そのときに主催者側が「河野さんは◯◯さんのことが嫌いなんですか?」と言ってきて、私が激怒したことがある。そんなくだらない低俗なレヴェルで演奏を批評していると思われたことが許せなかったのだ。その歌手に、こんなところで高をくくった歌を歌って満足していちゃダメだ、と伝えたかった。彼の周りを囲む人たちにも、彼をこんな風にして潰さないでくれ、と思って書いた。だが、それはあくまでこちらの勝手な思い込みであって、書かれた歌手は深く傷ついただろう。その主催者には「ご本人が納得できないと言っているのであれば、こちらの言いたかったこともいくらでも説明しますし、彼の話も聞きますので、ご本人に直接連絡させて下さい」とお伝えした。その話は、結局それきり沙汰やみになった。

ずっと以前、まだこの仕事を始めて間もないときに、私はあるテノール歌手に言われた。「僕たちは命をかけて歌を歌っている。だから批評を書く方も命をかけて書いてくれ」。私は彼の言葉を決して忘れてはならないと肝に銘じてきた。演奏批評を文字にするときには、批評家は否定的な部分だけではなく、褒める根拠を問われたときにも、いつでもきちんと説明できなければならないと思っている。…

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声楽教師、日本とヨーロッパ

ヨーロッパの歌手はデビューしてからもコーチについて必ず調整を続けます。演じた役や疲労で微妙に狂った発声を元に戻したり、新しい役の準備をするためです。

世界的な大歌手ほど、母国に戻ってきたとき、あるいはその他の国でも信頼できるコーチを持っていて、(ときにはコーチを帯同する人もいます。)時間を見つけて調整に立ち寄ります。テニス選手やフィギュアスケートの選手と同じです。

しかし、それは日本の声楽界のような「師弟関係」ではありません。言ってしまえばもっとドライな1対1の「契約関係」です。日本のように、教師が学生時代に教えた生徒が立派に活躍している年代になってまで、彼らのことを自分の生徒だと主張し、他の先生に師事することを阻止し、囲い込むなど愚の骨頂。その行動はその教師の人間性を疑わせます。…

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