歌手と身体の変わり目

ほとんどの歌手には、年齢的に何度か変わり目が訪れます。

軽い声の方が、その変化がより若いときに来ます。一般的には低声の声の成長は遅く、その分キャリアが長い傾向にあります。

10代の変声期は別として(ちなみに女性も同様の時期に目立つほどの変化ではありませんが、やはり声が変わっています)、その次の変わり目がやってくるのが30代の中盤。ここは一般的には学生時代からの力任せの歌唱ではトラブルが多くなる時期です。このあたりまでにテクニックを身につけておかないと、声を失いかねないので要注意です。日本の多くの歌手が40歳そこそこで声が荒れてしまうのは発声テクニックを軽視して、持ち声だけで来てしまったケースがほとんどです。…

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伴奏を聴いて歌い出す日本人

今回、とある仕事で、続けて10回以上の邦楽の演奏会を聴かせていただく機会に恵まれた。邦楽は実際は大変幅広く、一概に論ぜられるものではない。しかし邦楽の楽器(筝、三絃、尺八、あるいは笙)を用いた現代作曲家の作品と、古典の邦楽曲の演奏を聴き比べてみると、実は私が違和感を抱いたのは、古典ではなく現代作曲家による楽曲の方だった。古典の、つまり伝統的な五線譜ではない楽譜(楽器によって数字の羅列であったり、楽器の音を模したカナであったり、漢字とそれらの組み合わせであったりする)で書かれたものは、日本人がDNA として持っていると思われる、なんとも言えない「間」と、誤解を恐れずに言えば「ズレ」を楽しむことに美学がある。だからこそ一斉に揃えて演奏することを求めるタイプの現代音楽と邦楽楽器とは、どこか不似合いにも感じられたのだが、今回書きたいのはそこではなく(第一、それを論じられるほど私は邦楽に詳しくない)、日本のクラシックの歌手によく見られる「伴奏を聴いてから歌い出す」習性が、実は我々の民族的なDNAに起因しているのではないかと私自身が気がついたことである。

日本人には、一般的に伴奏を聴いてそれを確認してから歌い出そうとする習性があり、西洋音楽の、拍の頭におたまじゃくしが存在すればその冒頭から音が鳴っていなければならないリズム感に乗り損ねる傾向がある。極端に言えば、本来は歌が先に出てそのあとからピアノなりオーケストラがついてくるタイミングで書かれている西洋音楽を伴奏を聴いてそのあとから歌い始める邦楽方式でやれば、当然数分の一あるいは数十分の一秒遅れて出ることになる。そのため西洋音楽の作品の持つ冒頭のアクセントのあるリズムが薄れて聴こえることがある。私自身がよく批評で「まるで仮名書きのような音楽」、「立体感を感じづらい平面的な音楽」と書きたくなる現象の原因の一つがここにあるのだということに、今回初めて思い当たった。(今頃か!?と言われそうだが。)…

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La Traviataはなぜ世界中で愛されるのか〈3〉

最終回《演出編》

演出家を刺激する、演技力・表現力豊かなソプラノたち

このオペラには、ヒロインであるヴィオレッタが、パリの豪奢な館のセットの中で美しい衣裳を身にまとっている演出が長く親しまれてきましたし、現在でもそういったタイプのものが多く作られています。しかし近年では、より「リアルな女性像」に焦点を合わせた《ラ・トラヴィアータ》もまた数多く生まれています。…

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