モンセラ ・カバリエ

またもオペラ界から一人の大歌手がこの世を去った。モンセラ・カバリエ Montserrat Caballé 享年85歳。

ベルカントの女王であり同時にその歌い方を変えることなく、ヴェルディ、ヴェリズモ・オペラ、フランス・オペラ、ワーグナーに至るまでを歌い切った20世紀を代表するソプラノ・リリコのひとりだった。

1979年、英国王立歌劇場来日公演の《トスカ》で、私は初めて生の彼女を聴いた。カヴァラドッシは、若きホセ・カレーラス。第1幕で舞台裏から聴こえてきた「マリオ!マリオ!マーリオ!」の声は、私のそれまでのオペラ歌手の「声」という概念をひっくり返した。それは天使が舞い降りてきたような声だった。姿を現したカバリエは、ご存知のように恰幅がよく、対するカレーラスはか細く、バランスとしては決してよくないはずなのだが、彼女の品の良い風情と、そこに同居する可愛らしさ、そしてなにより、この世のものとも思えない美しい歌唱が、そんなものは吹き飛ばした。世界的オペラ歌手というのは、こういう歌手を言うのか、と圧倒された瞬間でもあった。それまでもレコードで素晴らしい歌手たちを数多く聴いていた。しかし劇場で、こんな風に劇場全体が美しい声で満たされるという体験は初めてだったのだ。そこで初めて私は、それまでレコードで聴いてきた歌手たちの声もこうして劇場を満たしていたのだ、と知ったのだった。

その何年後かに、彼女のスカラ座でのリサイタルがあった。その時もあの大きな劇場の天井桟敷まで、彼女の声は絹の糸のように走って届いてきた。あるいは大玉の打ち上げ花火が柳のようにきらめきながら降ってくる、あの大空から煌めき落ちる美しい光が、スカラ座の天井から劇場中に降り注いでいるようだった。そして、ヴィヴァルディのアリアにおける驚異的なフレージングの長さには、満員の聴衆は息を呑んだ。あれはもう誰にも真似はできまい。

カラスの再来、と呼ばれるソプラノは何人か現れたが、カバリエの再来というのは、まず聞かない。いかなる音域であろうとも微動だにしないポジションによって、彼女の声の均一性は保たれていた。白鳥が水の中で、どれほどその足を休むことなく動かして水を掻いていることなど全く悟らせずに、優雅に水面を滑っていくのと同様、彼女のように上から下まで均一性の保たれた声を出し、それを支えるには、腹筋、背筋などの筋肉をフルに働かせることが必要である。喉のどこにも力が入らず、息に乗せた声が彼女を通り抜けて遠くまで届くというのは、そこまで彼女の歌唱テクニックが磨き込まれていたことの証左なのだ。

それに匹敵する完璧な技術を持っていた歌手には、サザーランド、セッラ、フレーニ、スコット、デヴィーアらがいる。しかし彼女たちの声は本来レッジェーロ、あるいはリリコ・レッジェーロであり、フレーニとスコット以外は、レパートリーのほとんどをベルカント・オペラに限ってきた。

が、カバリエは前述のように実に幅広いレパートリーを持ち、数多くの録音も残してきた。これはカラス以来、彼女だけが成し遂げたことである。暗く、個性的な声と女優としての才に長けたカラスと、息の上に乗せた声で、歌い切るという歌唱スタイルを最後まで崩さなかったカバリエ。彼女たちが蘇演したオペラも多い。キャリアのピークこそ数年しかなかったが凝縮した活躍をみせたカラスと、何十年というキャリアを積んだカバリエ。対照的に見えて、このふたりがオペラ界に残したものには共通項が多い。

残念ながら、カバリエの死をもって、ソプラノ・リリコによるベルカント・オペラの伝統の墓石の蓋は静かに閉じられてしまった、と言わざるを得ない。いつかこの失われた伝統を蘇らせてくれるソプラノ・リリコの歌手が出現するのだろうか。それがどれほど微かな一縷の望みであっても、私はその出現を信じたい。

天に召された大ソプラノ、モンセラ・カバリエの安らかな眠りを祈るとともに、私たちオペラ・ファンに彼女が与えてくれた喜びに、心からの感謝を捧げたい。