インタヴュー

この仕事で一番の役得は、インタヴューで一流のアーティストと、多くの場合は約1時間、一対一で話ができることだ。

外国人とのインタヴューの場合(私の場合はその多くがイタリア人のアーティストとなるわけだが)、私は拙いイタリア語でも極力通訳を介さず直接話すことにしている。それは相手が話好きなイタリア人だから成立するのであって、Yes Noだけを答えてそのあと黙ってしまう相手であれば、間が持たない。しかし、イタリア人アーティストの場合は、ほとんどのケースで相手は話し始めたら止まらない。逆にこちらがどこかで止めないと、話は延々と続き、多くの場合、延々とどこかへ脱線していくのである。

だが、それが面白い。そのアーティストが大事にしているものは何か、他人にどう思われたいのか、あるいはそんなことに何の興味もないのか。話の流れに任せていると、予想もしなかったその人の思わぬ面が見えてくる。

真面目なインタヴュアーは、そんな手抜きはしない。きちんと資料に目を通してインタヴュイーを研究し、演奏の録音を聴き、あるいは演奏会を聴き(そこまではこの手抜きインタヴュアーでもさすがにやります)、万全の準備をし、質問をしっかり用意してインタヴューに臨む。

インタヴューの通訳に入っているとよくわかるのだが、イタリア人は自分の言いたいことを、最後まで言いたい。途中で一度通訳が入り、アーティストが、さてその続きを喋ろうとしたとき、インタヴュアーは、多くの場合次の質問を繰り出してくる。必ずと言っていいほどそこでアーティストはムッとする。そして恨みがましい目で私のことを見る。こちらはそれに気づかぬふりで、次の質問を訳す。心の中で「ごめんなさい!私はしがない通訳です」と言いながら。

言い換えれば、通訳が入ったインタヴューでこそ、インタヴュアーは主導権を握ることができる、とも言える。(あくまでイタリア人のインタヴューの場合の話。)

以前にもどこかで書いた気がするのだが、インタヴュアーが評論家の場合、持論を滔々と述べられることが多々ある。その演奏家の演奏について、あれはこのような解釈に基づいていたに違いない、あの演奏は、あのような解釈で大変素晴らしかった、といったことを下手をすると10分以上述べられることがある。そうした場合、アーティストはニコニコしているが、その口からは「なんで俺の演奏に関して、こいつの考えを俺が聞かされなくちゃならないんだ!?」というぼやきが漏れる。インタヴューしている側としては、どれほど私があなたの演奏を数多く、かつ真剣に聴いているかというアピールでもあるのだが、少なくともイタリア人に対しては、それは逆効果である。聞いてもしょうがないから通訳しなくていいぞ、とまで言われても、こちらは虚しく(しかも必死に)訳し続けるのである。

なので、ちゃらんぽらんなインタヴュアー(私)は、ポーンとひとつ質問を投げる。それも比較的に抽象的な質問だ。それに相手がどう反応してくるのかを見る。時にはそれがとんでもない球になって返ってくることもある。主題としてどうしても語ってほしいことに戻れないのではないか、と焦ることもあるのだが、そこはあちらが何枚も上手の超一流アーティストともなれば、インタヴューに慣れているので、ちゃんと最後には着地すべきところに着地してくれるのである。

困るのは、本心を絶対に見せず、招聘元や共演者を褒めまくり、うまくすり抜けようとするアーティスト、あるいは、自分を実際以上に大きく見せようとする相手に当たった時である。提灯記事を書くわけではないから、どんなに招聘元を誉め讃えられても、その部分は自動的に全面カットである。(共演者への不満、悪口、こちらも全部カットする。相手も同じことを思っている可能性が大なので。)

こちらも最低限の下調べや、過去のインタヴューなどには目を通しているし、エージェントが出しているその人の略歴や、過去や今後の出演内容は把握している。その時の共演者、あるいは、そのときの現地の新聞評も読んでいる。本人がいかに大成功だったと言っても、現地の複数の一般紙の批評や、いまや侮れない一般聴衆によるブログなどを読めば、実際のところはだいたい想像がつく。インタヴュー中にそんなことはこちらもおくびにも出さないけれど、今の時代、極東の島国でもヨーロッパやアメリカでの公演評は即日目にすることが出来るのである。

日本人の海外での活躍についても同様である。昔のようなわけにはいかない。ネタバレをインタヴュアーが知らないふりをしていることも多々ある。

日本のアーティストの場合、中にはこちらがこれまで書いてきた記事などを下調べして、インタヴュアーが、どういった傾向に興味を持っているのか研究した上でインタヴューに臨む方すらいる。インタヴューには、インタヴュアーの主観が否が応でも入るものだから、注意深いアーティストはそこまで準備してくる。こちらも浅はかな誤解で違うことを書きたくないし、あちらも当然書かれたくない。だが、こちらは十年一日のごとく、録音を流した方がいいような公式発表の繰り返しを聞いても仕事にならない。隙を見せまいと必死になる相手からどうやって本音を引き出すか、そこがインタヴューをしていて面白いといえば面白いところではあるのだが……。

しかし、超一流のアーティスト相手にそんなことはまず起きない。彼らは、彼ら自身として、なんら構えることなく、とてもシンプルに受け応えをしてくれる。うまくいったことばかりではない、失敗したことも、後悔していることも淡々と話してくれる。自分は自分であってそれ以上でも以下でもない、という自信とオーラが彼らを包んでいるのである。