どうすればオペラ歌手になれるのか

「どうすればオペラ歌手になれるのか」

プロのオペラ歌手とは

オペラ歌手の第一線での活動期間というのは、他の楽器や指揮者と比べ、けっして長いとは言えません。それは声という楽器が体の中にある宿命なのです。

まず、本格的な声楽の訓練が始められるのは、変声期が完全に終わってからになります。女声は出産を経て、声域や声質に変化を起こすことがありますし、その後いわゆる更年期と呼ばれる年代に差し掛かると、男女とも声帯にそれまであった柔軟性がなくなるなどの変化が起き始めますので、若い時とは異なる声の使い方やレパートリー選択を工夫する必要に迫られます。声は、年齢とともに重くなる傾向にあるものの、だからといって行き過ぎた、ドラマティックすぎるレパートリー選択をすれば、声を潰すことに直結することにもなりかねません。この年代は人間的な成熟にともない豊かな表現ができるようになる頃でもあるので、歌手にはこの身体の変わり目を是非上手に越してほしいものです。

ただし、それができるのは、しっかりとした歌唱テクニックで、そこに至るまでも自分にあったレパートリー選択をしてきた歌手たち。今で言えば、70歳を過ぎても歌えるマリエッラ・デヴィーア、レオ・ヌッチ、バリトンの主役まで歌いこなすプラシド・ドミンゴなどが挙げられます。しかし現在は世界的に、まともなテクニックを身につけていない歌手の比率が高く、そんな年代まで声が持たないし、元よりそんなに長く歌っていく気もない、という歌手が増えています。円熟した大人の表現の出来る歌手が少なくなっていることは、オペラファンにとって寂しい限りです。

 

日本と欧米の声楽教育の違い

ヨーロッパの多くの国には、コンセルヴァトワール、コンセルヴァトーリオと呼ばれる音楽の専門学校があり、そこには幼い年齢から学校と並行して通うことができます。将来声楽家を目指すとしても彼らはまずそこで他の楽器を学びながら、音楽的な表現力や基礎的な素養を身につけていきます。(そうした環境により、ヨーロッパの歌手には、歌手の勉強と同時に大学で文学部や法学部あるいは理系の学部を卒業して、学位を持つ歌手が数多く存在するのです。)

そこからコンクールに優勝する、オーディションに合格するなどして、晴れてプロのオペラ歌手としての活動を始めます。欧米の歌手のデビューは、男女とも高声ほど20代前半が主流。欧米における歌手マーケットが、スカウトするのは(バスなどの成長に時間のかかる一部の声種以外は)その世代が中心で、コンクールなども30歳ぐらいまでが対象になります。大学院まで声楽を学んだ日本の歌手は、その時点で遅いスタートというハンディを背負っていることになります。

では、その中で頭角を現していくには何が必要なのでしょう。

 

日本人ならではの音楽性とソルフェージュ力

歌手の歌唱レヴェルがヨーロッパ出身の歌手と同程度ならば、残念ながら歌劇場は、ヨーロッパ出身の歌手を採用します。オペラの舞台では、東洋人の顔が入る違和感が否めないからです。こればかりは、異国の文化であるオペラをやる以上仕方がありません。

では、その中でも採用されるためには何が必要か。声の馬力では、残念ながら勝てません。逆にソルフェージュがきちんと出来て、読譜も簡単ではない新作オペラにも取り組める。しなやかで繊細な音楽性がある。日本人に多いレッジェーロ系の声で超高音がいつでも安定して歌えるetc. が、我々の「メリット」になります。言い換えれば、誰でも歌えるレパートリーだけでは、なかなか門戸はこじ開けられません。特に最近のように柔らかな声より、東欧の強い声が主流になっている時代ではなおさらです。かと言って、東欧圏の歌手の真似をしたところで、ほんの数年で声を失くすのがいいところです。

 

日本の声楽教育の弱点と現状

日本で大学院まで出ても、歌手にレパートリーがほとんど出来ていない、というのは、プロ歌手を目指す上で、海外の若手と同じまな板の上に乗ることさえできないことを意味します。いくらアリアが上手に歌えても、海外の劇場のオーディションでは「では、その前のレチタティーヴォからやってみて」とか「別の◯幕のシーンはできますか」と聞かれます。その時に「勉強したこともありません」「私はアリアしか歌えません」と言ったら、鼻で笑われて門前払いです。

若手も含めた海外の歌手のホームページをご覧いただくと、そこには必ず〈レパートリー〉のページがあります。そこに書かれているレパートリーとは、「この役だったら私はすぐにでも舞台で歌えます。だから仕事のチャンスがあれば私に連絡をください」というアピールなのです。残念なことに日本の大学院を修了した若手にレパートリーを尋ねて、いくつものタイトルを並べてきた場合、念のために「それは全曲歌えるのね?」と確かめると「いえ、アリアだけです」と平気な顔で答える人たちがまだ大勢いるのが実情です。

中国、台湾、韓国などの声楽教育はついこの間までずっと日本より遅れていました。ところが私たちがそこにあぐらをかいているうちに、彼らは欧米の歌劇場のニーズを研究し、かつ国内の教育でそれなりにレパートリーを持たせた上で海外のオーディションに送り出すようになりました。

日本では留学=勉強ですが、彼らは欧米でブラッシュアップをしつつ、プロとして仕事をするために出て行きます。そして欧米の現場を踏んだ歌手たちが母国に戻って、そのノウハウを後進の学生に伝えているのですから、その情報はどんどんヴァージョンアップされ続けています。対して、海外で活躍する日本人の歌手は減少する一方。このまま行くと日本の劇場でも日本人の歌手の出番は減っていくばかり、という危機的状況が、実は目の前に迫っているのです。

(2018年1月19日「パオロ・ファナーレ&菅英三子リサイタル」プログラムに加筆・転載)